仙台市に住むJIA会員でもある、米村さんから復興支援の応募があったのは、応募締め切り間際でした。ご自身の事務所は震災で崩壊し、設計業務は手つかずの状態でしたが、JIAからの推薦で復興支援に携わることになり、石巻市の復興基本計画,北上市の集団移転計画策定をおこなうとのことでした。早速仙台へ向かい、机とマシンだけの事務所へ伺ったのは、雪がちらつく10月下旬でした。

床も壁もそのままで、ストーブをガンガン炊いてくださいましたが、灯油代のことが気になりました。ほとんどが手弁当での活動とのことで、仙台から石巻の移動費用もかさみ、地元設計者の方々の復興活動が容易でないことを知らされました。ベクターワークスがどれほどこの方々のお役にたてるだろうと思いながら、一からの操作説明でした。米村さんは長年設計事務所で個人住宅を数多く手がけられているとのこと。女性ならではのやさしさが感じられる作品をみせていただき、石巻や仙台で被災にあった方々にいい住宅を設計していただきたいと願いながら、操作をお教えしました。その後、震災から1年経った今年3月24日、集団移転説明会がおこなわれるとのお話があり、そのお手伝いをさせていただきたいと、再度事務所をお訪ねしました。高台移転初の着手ということで新聞にも掲載された地域での計画策定と住民説明を行うというものです。模型をつくり、説明会の度に会場へ運ぶその費用もままならず、労力の大変かかる作業を繰り返されていました。

これこそCADの出番と、ベクターワークスのコンター機能をフル活用し、高台移転場所の等高線をCAD上に描くことができました。あとは、この上に住宅、公共施設をプロットしていきます。
模型をつかった住民説明会ではうしろの方の人がよくみることが出来ないため、なかなか意見を出しにくい状況があり、また、その場の意見を次回にまた模型をつくりなおして見せるという、双方の意志疎通がなかなか計れないとのことでした。
住宅模型も四角の固まりを点在するというものでしたが、せっかく等高線を引けたのですから、移転される方が自分たちの街をつくる気持ちになっていただきたいと、家に屋根をつけ、庭にも木を植え、それを3次元で見せながら、意見を聞いていってどうかと、CADを最大限に利用したプレゼンテーションをご提案しその方法をお教えしました。これは相当の効果があったようです。説明会参加者の方々は自分たちの家がどんな風に配置されるのか、集会所はどこがいいか、海はどう見えるか、3Dパースで様々な方向で見える説明会は参加者とのコミニュケーションがより深まり、いい関係が築けているそうです。8月19日、その現場にお伺いしました。

ワークショップの行われた小室地区は、わかめ漁や葦などでも有名な地域で、2月の春祈祷(獅子舞)は、各地から撮影者が集まるほど豊かで活気のある地区でしたが、大震災では10mを超す津波が集落を襲いました。
高台移転に向けては地区のまとまりもよく、いち早く市の担当職員を中心に仙台JIAや宮城大学他多くの大学やボランティアの学生さんたちによって、基本計画が具体的にすすめられてきました。ワークショップは、造成模型とCGを使って説明が進められました。
模型に喰ういるように覗き込んでいる住民の方々から、「宅地と遊歩道の高低差はもう少しゆるやかにしてもいいのでは?」「シンボルとなる丘はもう少し低く」「風の通りはこちらから、山にぶつかってこちらに流れる」など経験を活かした議論が活発に交換され、新たな集落への建設を一日も早く実現したいという希望と期待が会場一杯にあふれていました。

しかしながら、山を切り崩しての高台移転は予想以上の様々な条件をクリアしなければならず、今だ明確にならない工程と具体的な見通しがたたない行政の説明に、住民の方々の落胆は大きく、他の土地を捜しすという人も出てくるなど、1年半におよぶ仮設住宅での生活も限界となってきている中での復興が容易ではない事を目の当たりにした思いでした。肩を落としそれぞれの仮設住宅に帰っていく後ろ姿に、かける言葉はありませんでした。

ワークショップの行われた近くに大川小学校があります。赤煉瓦が少しのこった校舎の前に、ひまわりが添えられていました。山が連なり、前を流れる北上川はひろく大きくゆったりと、とても美しいところでした。はじめて目にした北上川ですが、この大きな川の橋桁を越えた津波で大勢の児童が亡くなったこと、本当に気の毒でなりません。小室地区の方々をはじめ高台移転計画に地元の設計者やボランティアの方々とも連携をとって、住民の方々の集落づくりに少しでも役に立ちたいとあらためて強く思います。生き残った人が生きる希望を失わないように、一日も早い復興を切に願い私達も活動を続けてまいります。

(2012.8)
内田 和子
(取材協力:有限会社ヨネムラアーキテクツスタジオ 米村 ふみ子 氏)