■いわき

震災から3ヶ月経った6月28日、最初の復興支援訪問は原発事故避難者のための仮設住宅現場事務所でした。建設現場では、真夏を思わせる猛暑の中、会津若松の職人さん達によって仮設住宅が急ピッチで進められており、青いテントと打たれた杭が長く続いているのを見て、ここに移られた方々が少しでもくらしやすい環境の仮設住宅であってほしいと願いました。


上野からスーパーひたちでいわきまで2時間半、いわき駅から車で20分ほどにある高久第十応急仮設住宅の一角に、佐久間建設工業株式会社( 福島県大沼郡三島町 )の現場事務所がありました。お昼しか時間が取れないとのことで、その時間にあわせて現場事務所へ伺いましたが、担当の方はイスに座る余裕もないほど大変忙しく、食事もそこそこ、検査立ち会い、現場責任者の方々との打合せが続き、その合間をぬっての操作説明でした。

正直、仕事の邪魔になってしまったのではないかと訪問したことを後悔しましたが、私たちの持っているツールが少しでも役に立つのであればとの思いで時間を割いていただきました。現場で汗だくになりながら黙々と作業をされる職人さんたちの姿を見て、熱いものがこみあげてきました。この仮設現場はもともと分譲住宅計画地だったところを、急遽仮設住宅の場所になったとのことで、遠くに山々がみえ、時折吹く風はとても心地よい場所でした。

あれから9ヶ月、今年3月下旬、今回は里山建築研究所の方の案内で再訪の機会を得ました。筑波にある里山建築研究所と佐久間建設工業とは、以前から板倉構法による木造住宅で関係があり、この仮設住宅でも設計担当と施工担当ということで、図面のやりとりをおこなっていたそうです。板倉構法についての知識はこの時迄ありませんでしたが、仮設住宅でもこの構法が採用され、スギの厚板を柱間に落とし込んだ構造は、間取りが変更可能になっているとのこと。またロフトや軒を大きくすることで、荷物の保管がしやすく、仮設にくらす人々への配慮がいたるところにありました。


仮設住宅の訪問で一番気をつかうことは、被災者の方々がそこに住んでおられるという事です。画一化されたなかにあっても、個々の暮らし方は違います。洗濯物や布団が干してある中を、見学者気分でカメラを持つ事は許されません。9ヶ月前に建設が進められていた場所には、原発で自宅に戻れないまま、先の見通しの立たない日々のくらしを懸命に生きておられる方々の姿がありました。

今回は偶然にもこの板倉構法を長年、研究、普及をされてきた筑波大学の安藤邦廣先生の現場視察に同行するかたちで、建設された仮設住宅の中へ入る事ができました。集会所で少しお話をお伺いしましたが、南に面した窓からは燦々と陽が入り、ぽかぽかといい気持ちです。木造の柱、畳、障子と日本家屋の良さをあらためて感じながら、パソコンを広げての操作説明はなんともいえない不思議な空間で、ここが仮設住宅であることを忘れるほどでした。

この仮設住宅の敷地はゆるやかなカーブがあるため、南側の縁側をどう配置するか細かい検討がされたそうです。行政からはさまざまな変更要請があり、それを設計図面に落とし込んで、工期の迫る施工現場へ伝えなければなりません。設計担当,施工担当がそれぞれインターネットを介して同時に図面を確認することができ、建設現場は変更対応にもスムーズに指示を出すことができたそうです。この仮設住宅でベクターワークスを使った協業があったことをはじめて知りましたが、里山建築研究所では、この仮設住宅で木材をつかったワークショップをおこなうなど、筑波からも頻繁に訪れているそうで、お会いする方々とも気軽にご挨拶されているのが印象的でした。里山のくらしを豊かにしたいという所員の方々の気持ちは、ここ仮設住宅でも同じのようです。

お伺いした日は春の陽を浴びて縁側で布団を干すお家も多く、居間でくつろいでいる姿もありました。庭にきれいな紅白の梅の木があるのをみつけ、庭いじりをしていた方とお話をすることができました。福島県楢葉地区の方でした。庭に野菜や花を植え、ワークショップで作ったプランターには、色とりどりのパンジーが咲いていて、庭先を通る人の目を楽しませています。

 

縁側でお話を伺っていると、奥様がしいたけ茶を出してくださいました。この一服がなんとおいしかったことか。自宅があっても戻れない。戻っても荒れてしまってそのままでは住む事はできない状況だそうです。「この仮設住宅をそのまま持って帰って住み続けたい」とおっしゃっていました。夫婦二人の生活に必要なものはすべて揃っている。夏も空調を使わず、この冬も暖房は夜に1つだけつけている、とのことでした。ほんのちょっとの間でしたが、こちらの気持ちまでがぽかぽかしてくるようで、次回はゆっくりおじゃまさせていただきたいとそんな気持ちになりました。

(2012.4)
 
【取材を終えて】
急ピッチで進められた仮設住宅。そこに暮らす人々はさまざまな問題を抱えながらも懸命に生きておられます。被災地では移転場所をめぐって検討が続いていますが、被災されたみなさんが夢を語れる街づくりと、復興住宅が建てられることを願っています。
内田 和子
(取材協力:佐久間建設工業株式会社/株式会社里山建築研究所)