ユーザ事例 & スペシャルレポート

去る8月24日(金)、東京・大手町サンケイプラザで「Vectorworks教育シンポジウム2012」が開催された。

開催挨拶で内田社長は、「CADは道具の一つだが、CADを使って空間をデザインし、未来に向かって切り開く創造を学生には学んでほしい。昨年の東日本大震災は生活を一変する未曾有のできごと。明日への襷には、CADで学んだ、知識を社会に活かし、新たな道を開きながら、未来につないで欲しいとの思いを込めた」と述べた。

日建設計の羽鳥達也氏による特別講演では、東日本大震災からの復興プロジェクトにかかわる取り組みについて発表された。またVectorworksを活用したワークショップや設計に関する実践事例講演、OASIS奨学金を受けたプロジェクトの研究成果発表、講演に関するパネルや模型の展示など、ユニークな教育イベントとなった。今回も多くの教育関係者や学生、社会人が詰めかけ、会場は熱気ある一日となった。


特別講演 株式会社日建設計 
設計部門 設計部 主管 羽鳥 達也 氏

-共有知のデザイン/逃げ地図について-

東日本大震災では東北大学や宮城大学などでも校舎が被災し、建築関係の学科でも授業ができないところがあった。そこで日建設計では東京の建築設計事務所やゼネコンなどに被災した大学の学生をインターンとして受け入れようと呼びかけた。

インターン学生に東北地方の被害についての調査活動を提案したところ、学生はぜひやりたいと言った。彼らの熱意と調査を引き継ぎ、教官役となった我々プロのノウハウが組み合わさった結果、生まれたのが「逃げ地図」だ。

「逃げ地図」が生まれたきっかけは、震災後に募金を届けるため現地で造船業から建築の溶接加工を営む高橋和志さんに再会したことだった。高橋さんには、東京の神保町シアタービルを日建設計が設計したとき、複雑な多面体で構成される外装材の鋼板加工でお世話になったことがあった。

高橋さんは、伊東豊雄氏など日本を代表する建築家と何度も仕事をしてきた。そのため打ち合わせで同席したとき、私はその気迫に押され、怒られたことさえある。その高橋さんが以前とはうって変わって意気消沈していたのだ。

高橋さんの会社でも社員の1人が津波で亡くなった。被災した町も不安が満ちあふれ、問題は山積しているが復興に向けての活動はなかなか進んでいなかった。

我々が行う建築プロジェクトでも、複雑で大きなビルになればなるほど問題だらけだ。それを解決しながら進めていく作業を設計者は日常的にやっている。こうして被災地の問題とは何かを探り始めたところ、明らかになったのは、再び津波が襲って家族を失う恐怖から、家から外に出られない人が多いということだった。

この不安を解消するために考えたのは、町のどこが浸水しやすいか、どこに逃げれば安心か、そして逃げ遅れないようにするためにはどうしたらよいかを明らかにすることだった。そのためには2つの判断基準が必要となる。誰が見ても分かる「事実判断」と、それに基づいてどう行動すべきかを決める「価値判断」だ。

そこで、今から100年以上前の明治の大津波で被害を免れた場所を特定する作業から始めた。その場所をゴールとして町のいろいろな場所から最短時間でたどり着くルートを解析し、町の各場所からどの方向に逃げたらいいのかを分かりやすくまとめたものが「逃げ地図」だ。

後期高齢者が10%勾配の登り坂だと毎分43m進めると仮定して、避難地となる高地にたどりつける範囲を3分ごとに等高線のように道路に示して、30分間でどの範囲の人が避難可能かが一目で分かる地図ができ上がった。

すると、場所によっては避難に時間がかかるところも分かってきた。そんなときはちょっとした避難の近道を作ることにより、避難時間が大幅に短縮されることもわかった。また、谷間にバイパス道路を架けるよりも、小さな近道を作る方が効果的だということも分かりさまざまな対策の費用対効果が明瞭に表現できることが分かった。

さらにどうしても避難に時間がかかる場所には津波避難タワーの検討も必要になる。財政事情を考えると、津波避難タワーは何カ所も作ることはできない。そこでどこに建てるのがもっとも合理的か、ということも具体的に分かってくる。と同時に、避難時間が具体的に分かれば高価な避難タワーが必要かどうかも議論ができる。

「逃げ地図」作りの作業を行うワークショップを開き、地元の人にも参加してもらった。地図に色を塗っていく作業を通じて、町のどの部分が危険か分かってくると、最初のころとは目の色が変わってくる。そして避難タワーをどこに建てたらいいのかという議論でも、我々プロの意見とほぼ同じ場所が候補地点となって挙がってくることに驚いた。

「逃げ地図」の解析作業は、このように手作業でも行えるが、道幅や歩行者の数などを考慮した精度の高い解析を行うために、エーアンドエーの歩行者シミュレーションソフト「SimTread(シムトレッド)」を使って町全体をモデル化し、避難シミュレーションを行った。人の動きがオレンジ色の点で時々刻々とパソコンの画面上を動くように表示されるので、専門家だけでなく、一般住民も分かりやすいのだ。

するとよく使われる道とそうでない道が分かったり、津波避難タワーに逃げ込む人の最大人数が分かったりする。すると、道であれば必要な幅や、タワーを計画するのであれば具体的な避難人数に応じた規模の想定や必要な燃料の備蓄量など想定可能になる。つまりこういった手法により、より高精度で多くの住民が合意可能な計画ができるのではないかと考えている。

見えないリスクが分かり、いざという時に逃げるべき場所と避難にかかる時間が予想できると人々は安心し、リスクに対処しようという気持ちも生まれてくる。

被災地には外部からいろいろな支援者が入っているが、多くの納得を生むのは適切な「事実判断」に基づいた「価値判断」だと思う。我々は「逃げ地図」のプロジェクトを通して、「価値判断」に関わるのは、誠実さみたいなものだろうと感じている。これは建築にも言える事で、論理的に正しいとしても「この人たちは私たちのことを本当に考えてくれている」ということが伝わらなければ心に響かず、真の合意形成には至らない。我々はこれからも、より高い想像力と誠意を持って人々の心に響くものとは何かを真剣に考えながら仕事をしていきたい。

このほか、特別学生講演、実践事例講演、OASIS奨学金 研究成果発表などの詳細はPDFファイルをご覧ください

 

この事例は株式会社イエイリ・ラボの許可により「建設ITワールド」で2012年10月2日より掲載された記事をもとに編集したものです。

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