ユーザ事例 & スペシャルレポート

熊本高等専門学校 建築社会デザイン工学科は、土木工学の新しいイメージを「社会デザイン」という言葉で表した、建築学と土木工学の複合学科です。地域の文化や歴史、環境や防災などに配慮しながら、情報通信システムや計測技術を用いて「地域づくり・まちづくり」に貢献できるデザイン能力を身につけたエンジニアの育成を目指しています。建築計画を専門とする勝野研究室では身近な防災・減災対策に焦点をあてた研究にも取り組んでいます。研究の中で歩行者シミュレーションソフトSimTread(シムトレッド)がどのように活用されたのかをご紹介します。

今回、学校の避難訓練に焦点をあてた研究論文「歩行者シミュレーションソフトを用いた避難訓練の評価と改善に関する研究」について、准教授の勝野幸司(かつの こうじ)先生にお話をうかがいました。


避難訓練は1パターンでも避難経路はいろいろなパターンが考えられる

-研究に取り組んだきっかけは?-

避難については学生の研究テーマとして出て来ましたが、群衆の動きをどう捉えるかについてはもともと興味がありました。実際に研究で取り組んだ校舎(共通教育科棟)は2006年頃に改修工事が行われて、廊下幅なども少し変わりましたが、学校の避難計画は特に変更もなく訓練の経路も改修前と同じでした。現実的にはいろいろなパターンの避難経路を訓練で試すということは難しいです。そこで、いろいろな避難経路について避難シミュレーションができれば、最適な避難経路の検証や訓練時の改善提案などができるのではないかと考えたことが、研究に取り組むきっかけになりました。

シミュレーション結果がわかりやすいことが決め手に

-なぜSimTreadを選んだのですか? -

当初、群衆の動きをシミュレーションするには複雑な計算をしなければいけないというイメージが強く、ソフトを扱うのも難しいだろうと思っていました。ですが、SimTreadはある程度条件を決めて入力するだけでシミュレーションができますし、人の動きが色の変化などで表現されビジュアル的にも結果が非常にわかりやすいということが選択の決め手になりました。学生時代からVectorworksを使っていたので、Vectorworks上でSimTreadが使えることも非常に大きかったです。また、どんな設定で人が動いて人とぶつかったらどう逃げるのかという、個々の歩行者の行動ルールがどのように定義されているのかについても、詳細が研究論文[*]として発表されていたため、十分に理解した上で活用できた点も良かったです。

シミュレーション前に訓練時の避難者の動きを記録して検証

研究対象とした校舎の訓練概要と記録箇所など(論文[2] 表1 図1より引用)

-シミュレーションにあたってどのような準備をしたのですか?-

研究対象とした校舎での避難訓練は、火災想定で1年生から3年生までの全クラスの学生が教室にいる時間帯に行われます。経路は1階避難者のみ西側玄関から、2階避難者は管理棟階段を、3階避難者は東側階段を使って1階に降りた後、管理棟玄関を通ってグラウンドに逃げる一斉避難です。毎年、訓練は特に混乱もなく終了しますが、実際の避難で訓練と同じように逃げられるのかという疑問もありました。しかも、避難訓練は年に1回ですからビデオカメラを避難経路の東階段1階、2階、3階付近と管理棟玄関の計4ヵ所に設置して、1人の学生に避難しながらビデオ撮影をしてもらいました。研究では記録した映像から訓練時の動きを検証した上で、避難訓練の再現も含めてさまざまな想定で避難シミュレーションをしようと考えました。

避難訓練の再現と避難経路や歩行速度を変えてシミュレーションを実施

-具体的にどのようなシミュレーションをしたのですか?-

SimTreadがどの程度実際の人間の動きを再現できているのかを検証するために、まずは避難訓練の再現を試みました。研究対象とした校舎の基本図面はありましたが、廊下の幅や教室の開口など実測もしながら各教室の机配置までVectorworksで正確な平面図を作成しています。シミュレーションも避難訓練と同様に学生全員が着席した状態で教員を含めた402名を想定して、同じ経路で行いました。各階ともに廊下での歩行速度は、訓練時の計測で最も早かった秒速1.0mとして、階段は避難に関する先行研究などを参考にして秒速0.5mと設定しました。その他、避難経路や歩行速度を変えて10から20パターンのシミュレーションを行っています。

避難訓練の再現は苦労もあったがわかることも多かった

シミュレーションによる訓練再現結果の一部(論文[2] 図3より引用)

-SimTread活用の際、苦労した点は?-

シミュレーションで苦労したのは、教室内の机と机の間で人が詰まって動かなくなってしまったことです。どのように設定するか悩みましたが、机はちょっと押せば動くので、図面上は机の寸法を少し小さくすることで人が動けなくなってしまう状況を回避しました。また、訓練では全員が指示通りに動いていないことで滞留が起きたり、ドアが開けっ放しであったために廊下で滞留が起きるということもありました。訓練とシミュレーションでの避難時間の差異について原因を探って行くのは大変でしたがわかることも多かったです。考察の結果、時間差も最大10秒程度であり避難シミュレーションにSimTreadが有用であることも確認できました。

パターンによっては予想と違うシミュレーション結果になることも

-SimTreadを活用したシミュレーションでわかったことは?-

実際の避難訓練完了時間が3分49秒だったのに対して最も避難時間が早かったのは、各階の3クラスが2方向に分かれて両側の階段から逃げる2方向避難で、避難完了時間は2分43秒でした。一方、最も危険な状況は1ヵ所の階段しか使えないというパターンで、避難完了に4分45秒かかっています。また、歩行速度が早い方が避難は早く終わるだろうと予想したのですが、パターンによっては滞留で動けないという状況もありました。シミュレーションでは滞留場所が視覚的に明らかになることで、こんな場所で滞留するのかという発見もありました。

避難訓練時の2階管理棟階段付近(左)と2階東階段付近(右)の滞留の様子(論文[2] 図4より引用)

避難計画にあたって事前に危険な場所を把握できることが大切

-シミュレーション結果を踏まえ避難計画で大切なことは? -

本当に何かが起った時に冷静に逃げられることが重要で、避難計画レベルであまり細かい設定をするよりも基本的には一斉避難を前提に考えるのが良いだろうと感じます。避難訓練では、消防署の方も避難時間を気にしますが、シミュレーションで避難時間が早くても赤くなって滞留している場所があればそこは非常に危険だと思います。また、今回は障害物もない状態で健常者のみを想定して、避難経路と歩行速度だけを変えたシミュレーションを行っています。例えば、訓練時に開いていたドアが閉まっていたらどうなるか、廊下に障害物を置いたらどうなるかということもシミュレーションすると違う結果が得られたのではないかと思います。災害時の避難は訓練時と精神状態も違いますから、シミュレーションで滞留場所を確認できることが重要で、避難計画において経路ごとに危険な場所を示せるのは非常に有効だと感じます。

より危機的な状況を組み合わせた避難シミュレーションも必要

避難訓練計画よりも危機的な状況:1階段のみを使用した避難。避難開始1分後(左)、2分後、3分後(右)の避難性状(論文[2] 図5より引用)

-学校建築における避難シミュレーションでの課題は?-

学内では避難訓練への提言として検証結果を提示しました。それによってかはわかりませんが2014年度の避難訓練は論文の中で最も危険な1階段のみを使用した経路に変更されました。訓練でも階段での滞留がひどく、シミュレーションと同じ状況が確認できました。対象が高専生(1〜3年生)なのである程度自分の判断で行動できますが、小学生などはもっと危険だと思います。例えば、あるクラスの学生が階段でつまずいた場合の想定など危機的な状況を組み合わせた避難ストーリーでのシミュレーションも試してみたいと思っています。そして、実際の避難の事故事例などを調べることも必要だと感じますし、小中学校での訓練方法の評価にも活用できるように、小中学生の行動を考慮した避難シミュレーションへの発展は今後の課題です。

SimTreadのログテキストの解析や設計評価にも活用を広げたい

-今後取り組みたいことは?-

SimTreadではログテキストの生成が可能なので、避難時間や滞留の状況を細かく解析すると、どんな状況が危険かということも明らかになるのではないかと思っています。今回はできませんでしたが、次回はログまで解析したいと思います。そして、外部空間での動線計画にも応用できたらと思っています。また、研究では学生が操作したことがないVectorworksを教える部分は多少時間がかかりましたが、SimTreadの使い方を覚えたら楽しそうに動かしていて、学生からの提案もありました。ですから、研究だけでなく設計の評価にもSimTreadを使いたいと思います。卒業設計もそうですが計画したプランで思い通りに人が流れるのかという検証にもぜひ使わせてみたいと思いますし、学生が使える環境を整えていけたらと考えています。

記事中で参照した研究論文

  • [*] 木村謙, 佐野友紀, 林田和人, 竹市尚広, 峯岸良和, 吉田克之, 渡辺仁史:マルチエージェントモデルによる群衆歩行性状の表現 −歩行者シミュレーションシステムSimTreadの構築− 日本建築学会計画系論文集636号, 2009
  • [1] 勝野幸司, 大瀬治毅:歩行者シミュレーションを用いた避難訓練の評価 熊本高等専門学校 研究紀要 第5号(2013)
  • [2] 中山綾子, 勝野幸司:歩行者シミュレーションソフトを用いた避難訓練の評価と改善に関する研究 日本建築学会九州支部研究報告 第53号 2014年3月

ー取材を終えてー

避難訓練は実際に災害が起きたときに備えるために行われますが、訓練の経路が避難に使えない場合はどう逃げるのかという疑問が湧きました。学校に限らず人が集まる場所ではさまざまな状況を想定して事前に危険な場所を把握しておくことの重要性を改めて感じましたし、避難シミュレーションによって視覚化された滞留場所を見ることで、発見や提案が生まれることも取材の中で実感しました。

エーアンドエー株式会社 CR推進課 竹内 真紀子

【取材協力】

熊本高等専門学校 http://www.kumamoto-nct.ac.jp/

建築社会デザイン工学科 准教授 勝野 幸司 氏

(取材:2014年12月)

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