ユーザ事例 & スペシャルレポート

2011年3月の東日本大震災以前に、避難時間を想定して津波避難計画を策定していた自治体は無いに等しかったそうです。2012年度の日本建築学会技術部門設計競技「デジタルデザイン環境によって可能になる建築・都市」では、デジタルデザイン環境を用いて社会におけるさまざまな課題をどのように解決するかも問われました。その中で、ヒューマンビヘイビアに着目した「避難行動の可視化が可能にする新・津波避難計画」が優秀賞に選ばれました。この計画に、歩行者シミュレーションソフトSimTread(シムトレッド)がどのように活用されたかをご紹介します。

今回、新・津波避難計画の代表者でありSimTread(シムトレッド)の生みの親でもある、株式会社竹中工務店 吉田 克之(よしだ よしゆき)さんと共同開発者の峯岸 良和(みねぎし よしかず)さんにお話をうかがいました。


避難の専門家として津波襲来時の避難をシミュレーションしようと考えた

-津波避難のシミュレーションに取り組んだきっかけは?-

吉田 長年、人の行動シミュレーションに取り組み、2010年6月に商品化されたマルチエージェントシミュレーターであるSimTreadの開発には、避難の専門家として10年以上たずさわっています。東日本大震災の直後は、専門家として何ができるかを考える中で、最初は無力感に襲われてしまいました。ですが、建築スケールでは、建物の火災避難や何万人も収容するスタジアムのスタンドデザインなど、既にさまざまなモデルの避難シミュレーションにSimTreadを活用していました。そこで、津波襲来時の避難についてもSimTreadでシミュレーションしてみようと考えたのが取り組んだきっかけです。

高台移転と平地回帰の二者択一ではない選択肢

-津波避難を検討するにあたってどのようなことを考えましたか? -

吉田 震災の後、津波対策の見直しが叫ばれる中で、高台移転か平地回帰かの二者択一のような議論になっていたことに疑問を感じました。津波で被害を受けたのは、もともと漁業や観光で成り立っていた地域ですから、職住分離型の高台移転も防潮堤依存型の平地回帰も、一長一短があります。例えば、住まいは高台移転したとしても、海岸沿いで仕事をする人達の避難は考えなくてはいけません。それなら、とにかく津波が襲来しても逃げれば助かることが基本だろうと考え、大津波によって町が壊滅的な被害を受けてしまった岩手県の大槌町をモデルに、2011年の4月頃から取り組みはじめました。

避難の可視化と定量化で合理的な津波避難計画が可能に

-従来の津波避難計画との違いは?-

吉田 従来の津波避難計画を調べると、内閣府から作成手法が公表されており、多くの市町村のホームページに津波避難計画が掲載されていました。過去のデータから浸水エリアが示され、地域ごとの避難場所の指定や連絡網、役割分担などきめ細かく計画されているものもありました。ですが、計画通り逃げると何分で避難できるかという時間軸が示されたものは無いに等しかったのです。ですから、想定に基づいて“人の流れ”や“群集の波”を視覚化することができるSimTreadを使って、津波避難の様子が再現できれば、おおよその避難時間もわかりますし、避難上の問題点なども明確になります。シミュレーションによって避難の可視化と定量化ができてくると、より合理的な津波避難の対策や計画ができるのではないかと考えました。

実際の人口を配置し、基本的な条件で検証

-SimTreadで具体的にどのようなシミュレーションをしたのですか?-

吉田 実際の津波を参考として海抜20m以下を要避難地区と仮定し、高台に至る24ヶ所の道路が海抜20mを超えた地点を避難場所としました。避難者は最も近い避難場所を目的地として、鉄道と河川は横切らず徒歩で避難することを前提条件としました。震災前の大槌町の地図を手作業で作成し、建物を描き込んで、国勢調査をもとに約1万2千人を配置しました。今回、車での避難は考えていませんし、地域外から町に来ている人なども考慮していません。想定する段階でまだまだ考えなくてはいけないことはあると思いますが、まずは大まかな傾向をつかもうと考え、基本的な想定条件で避難性状を再現しました。

対策が必要な場所をよりわかりやすくするために色分けして表現

-SimTreadによるシミュレーションで工夫した点は?-

吉田 シミュレーションでは、坂道を登ることや疲れも考慮して避難の歩行速度を通常より遅く設定しています。また、避難シミュレーションの動画で、配置した人が目的地へ移動する様子と到達する時間がわかりますが、設定範囲が広域のため、人が小さすぎて見えにくかったので、カスタマイズして人を蛍のように赤く光らせています。さらに、全員の避難完了には約18分かかりましたが、対策を必要とする場所をよりわかりやすくするために、配置した地点から目的地までかかった時間によって、色分けして表現した避難時間マップもカスタマイズしています。

津波避難ビルと避難道路の新設によって全員の避難時間が約18分から8分に

-シミュレーション結果からどのような避難施設計画をしたのですか?-

峯岸 色分けされた避難時間マップをもとに、特に避難時間が長かった場所になんらかの対策をすることを考えました。まず、対策が必要な場所をピックアップし、津波避難ビルを設けるのが良いか、避難道路を新設するのが良いかを検討しました。多くの場所は、近くの高台に至る道路が足りないことが見て取れたので、まずは近道の整備を考えています。それでも港湾の近くには避難に時間がかかる場所が残されていましたので、そこには津波避難ビルを設けることを考えました。今回の設計競技の提案では、合理的な避難のために避難道路を17ヶ所新設し、4棟の津波避難ビルを建てる計画としました。その結果、対策後の避難シミュレーションではほとんどの場所で避難に要する時間が同じになり、全員の避難完了が18分から8分に短縮できました。

時間で評価する大切さを津波避難シミュレーションで再認識

-今回のシミュレーションでわかったことは?-

吉田 大槌町の津波避難シミュレーションには、2011年4月頃から取り組みましたが、その後、東北だけでなくさまざまな地域でシミュレーションをしてみました。避難場所や地形などから、何も対策をしなくても6、7分で逃げられる地域もあれば、30分ぐらいかかってしまう地域もありました。取り組んでからおよそ一年半後の設計競技応募時には、「風土や町の魅力を生かしつつ逃げれば助かる環境をつくる」ことをテーマとして、再度SimTreadで詳細を詰めて提出しました。この一連の取り組みで、時間で評価することの大切さを改めて感じましたし、SimTreadの可能性も広げられたのではないかと思います。

SimTreadのようなツールでシミュレーションすることが習慣になると良い

-今回の取り組みをどのように発展させたいですか?-

吉田 今回は現地に行っていないので、地元の情報など細かいところまで盛り込まれていない面もあります。実際に地元の人に歩いてもらって何分かかるかなどを検証しながら対策ができるといいのではないかと思います。さらに、建築スケールでも、もっとSimTreadのようなツールを使う習慣ができるといいと感じますし、設計者だけでなく、津波地域の住民や、スタジアムや建物の管理者などにもSimTreadの活用が広がることを期待します。

峯岸 実務の建物避難の検討では、避難時間だけで議論をしがちでした。SimTreadのようなデジタルツールを活用して、避難の際どこにどれだけ人が居て、どこで混雑するかが可視化されると、混雑を制御するというアプローチができると感じます。シミュレーションに手間はかかりますが、問題点も捉えやすくなり、専門家でない人たちもリスクを認識した上で具体的な議論をしやすくなります。そういう意味では、設計者だけでなく事業者への説明などにもSimTreadを活用していきたいと感じます。

共同開発者
エーアンドエー株式会社 研究開発室 室長 木村謙よりひとこと

このような広域避難を想定してSimTreadを開発していなかったので、津波避難シミュレーションを見せられたときはびっくりしました。今回は人が蛍のように光る機能や色分けで表現した避難時間マップ、シミュレーション結果の部分的な拡大表示など、いずれも広域避難シミュレーションならではの機能をカスタマイズしました。吉田様はじめ、竹中工務店の防災担当のみなさんにはSimTreadを開発中からオンプロジェクトで使ってもらっています。その中から出てきた要望を盛り込んで行くことで、ソフトとしても充実させることができ、よい経験となりました。


ー取材を終えてー

津波避難シミュレーションは、開発を始めた時には誰も想定していなかったSimTreadの使い方だったそうです。だからこそ多くの発見があったのだろうと思います。このような手法で、地域毎に「逃げて助かる環境」が整備されることが理想だと思いますし、避難に要するおおよその時間が把握できることで、実際の避難時も落ち着いて行動できるのではないかと感じます。

エーアンドエー株式会社 CR推進課 竹内 真紀子

【取材協力】

株式会社竹中工務店  http://www.takenaka.co.jp/
設計本部 本部長付 防災担当 吉田 克之 氏
設計本部 防災担当 峯岸 良和 氏

(取材:2012年11月)

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