宮城大学 事業構想学研究科 中田千彦研究室 富沢綾子さん
テーマ:長清水番屋建設プロジェクト A Book for our Future, 311 2011年10月〜2012年3月
『A Book for Our Future, 311』の活動は、地震で多くを失った方々が、これからのことを考える手助けに少しでもなればと考え、震災直後に宮城県の南三陸町で地元の方々向けに行った、ワークショップが発端になっています。研究室のメンバーや有志の学生で現地に入り、ワークショップではとにかく思いつくまま、アイデアスケッチをして提案を行いました。
『長清水番屋プロジェクト』もワークショップを経て、もともとわかめの養殖業がさかんで自然豊かで美しい南三陸町戸倉地区長清水集落の、高台と平地を考えていく中でスタートしました。典型的なリアス式海岸の海沿いに位置する長清水集落は、津波で39世帯のうち36世帯の家屋が流されてしまいました。今後の地域の発展を考えると、産業復興の拠点となるような場が必須だということで、資材の提供や技術協力など企業の援助も受けながら、地域の方々と意見交換を重ねて進めてきました。
基本設計は昨年10月にスタートし、多くの企業の賛同も得られて具現化することができました。計画を進めていく中で、集落のリーダーから、「被災地で当たり前になってしまっている、もらったり与えられたりするだけのものに建設する番屋はしたくない」と要望されました。それを受けて、プロジェクトではシンプルな構造だけを提供して、追加の造作などは集落の方々と研究室のメンバーで相談しながら随時更新していくことにしました。
研究室では、企業向けのプレゼンテーション資料作成や、集落の方向けに活用方法を提案した模型やパース制作、申請用の図面や設計図書の準備を進めました。申請関係をクリアし、今年の1月には、協力企業の方々にも現地に足を運んでいただいて打合せの場を持ち、構造で協力いただいている企業の方とは、構法についての勉強会を始めました。
造成は1月にスタートし、2月には、長清水集落の神主さんが中心になって地鎮祭を行いました。さらに、配筋やコンクリート打設など作業のすべては、専門業者の手を借りずに、長清水集落の方々が仮設住宅から通って積極的に現場を進めてくれました。3月4日の上棟式は、集落の皆さんやプロジェクトにかかわった学生を始め、協力企業やメディアの方々にも参加いただいて盛大に行う事ができました。
集落の方からは、「震災から約1年という時期に、被災した場所の一角に長清水番屋が建ち上がって、やっと地に足がついたような気がした」という声や、「上棟式のように皆が集まるようなにぎわいはとっても楽しかった」という感想をいただきました。3月22日には屋根も葺き上がり、構造部分の竣工を迎えました。公的な検査も完了し、その後は集落の方々を中心に使いやすくカスタマイズしていける状態になりました。
今年の4月末には、集落の方々の手で外壁や出入り口がつくられ、わかめ漁の作業所として利用されていました。プロジェクトがスタートした当初は、とにかく集まれる場所が欲しいという要望でしたが、地震から半年以上が経過した頃には、漁業を再開しようという動きがでてきました。実は建設敷地は3回変更になっています。最終的に、海に近い場所に共有の広い土地を確保できたこともあって、漁業に特化した建物を建てようという事になりました。
震災から1年半が経過して、仕事や生活、精神面も、部分的にはもとに戻りつつありますが、意図的に、もとに戻したいと思っている面もあるようです。例えば、昨年は開催できなかったお祭りを復活させたいという話しもでてきています。今年の7月からは、番屋を建設した敷地に、さらに工作物を建設する準備がスタートしました。現地では、現在ホタテの水揚げ作業が最盛期を迎えていますが、10月末頃から本格化するわかめ漁の準備に備え、番屋周辺に作業できる場所が欲しいという要望が出ています。
これら現地の要望を盛り込んで、漁業作業と人が集まれる場という両面から、人と車の動線や日当りに考慮した配置計画提案の準備を進めています。提案では、毎年行われていた秋の例祭で、5年に一度催される神楽の舞台をモチーフとしたアイデアも考えています。現在はアイデア出しの段階ですが、10月16日(旧暦9月1日)に行われる秋の例祭に間に合うように計画を進める予定です。
『A Book for Our Future, 311』は、本プロジェクトのエクストラ工事も含めて、現在もさまざまな活動を継続しています。集落の方々も、とても前向きに動き出しています。そういう中で自分たちが少しでも再生の手助けができるよう、今後も支援を続けていけたらと思っています。
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