長野県栄村は、震災の翌日、2011年3月12日、余震により民家が大きく倒壊し、地震による被害が大きかったところで、100戸ほどの集落があります。被災により無人化した古民家の修復・活用支援のための現況図面作成をしたいと、首都大学東京大学院都市システム科学域の研究室から復興支援の申し出がありました。八王子にある研究室を訪ね、すでに取り組んでいるさまざまな支援活動のお話をお聞きしました。
栄村への交通手段は寸断されており、すぐに伺うことはできませんでしたが、栄村の古民家集落再生のために倒壊した民家に許可を得ながら実測をし、設計図に残すという大変緻密な作業がされていました。

古民家の再生には膨大な費用がかかり、さらに集落の高齢化がすすみ、過疎になった古民家の再生はなかなかむずかしいとのことです。さらに今年の冬の豪雪で地震の被害に追い打ちをかけるように家が押しつぶされてしまったそうですが、常駐しているボランティアの方々が、栄村の文化や里山のくらしの体験計画など、さまざまな情報を発信しており、熱心な活動が続いています。今年、4月下旬、東京からの視察グループに同行させていただき、ようやく現地へ伺うことができました。

栄村は農業と、かつては林業で栄えた農村で、明治末期から大正昭和にかけて建築された建物が多く残されていますが、先の震災にて被害が大きかった建物からは住人が離れてしまい、今年の豪雪で倒壊する建物も見受けられました。首都大学東京栄村復興支援チームでは、被害を受けた古民家の実測調査を行い、地元のNPOと協力をして再生するプロジェクトを行なう傍ら、消えつつある伝統的な建物を電子データ(図面)として保存していく活動を行なっています。

山崩れを起した中条川上流は、土木工事が急ピッチで行なわれており、休日返上でトラックが行き来しています。また、無垢のケヤキの梁が特徴的な民家を見させて頂き、しっかりと造られた建物の頑丈さに驚かされました。
しかし、玉石の基礎から束が完全に浮いてしまっており、地盤が大きく谷側に動いた形跡がそこにありました。

震災から1年が経ち、その痕跡も徐々に片付けられはじめてきたようですが、中条橋の落橋現場を見たときは、大きなショックを受けました。
地震により橋脚か、橋脚を支える地盤が痛み、雪の重みで崩壊したそうです。危険なのであまり近づくことはできませんでしたが、鋼板のガーターが痛々しくちぎれていました。
栄村は水仙が至る所に自生しており、日本の原風景のような里山と豊富な雪解け水にあふれた美しい村ですが、視線の先には震災のダメージが多く見え隠れしています。
そんな中、若者達が震災を期に定住し、新たな刺激や雇用を生みつつあるそうです。天竜川の豊富な水量を活かしたカヌーやラフティング、ブナやナラを抱いた山々のトレッキング、スノートレッキング等、若い活力が流入することで、村も少しずつ活性化しています。

また、伝統工法に詳しい宮川さんが、小舞壁の修復方法について的確な意見を出し、今後の再生の方向性が検討されました。重要歴史文化財としての建築ではなく、一般的な住居・民家をアーカイブ化する今回の作業も、今後、建築史や生活・風俗を読み解く為の重要な資料となることでしょう。「住み手がいなくなると、建物がダメになるだけでなく、田畑や山までもが荒廃してしまいます。」と、今回調査に参加した方から聞きました。多くの観光資源が眠る美しい村を維持するには、人が住み、生活をしていかないと成り立たないことに気がつきました。栄村でも仮設住宅が多くあり、一日も早く美しい村とともに生活できる日が来ることを願うばかりです。

 
(取材協力:首都大学東京大学院 都市システム科学域 准教授 市古 太郎 氏)